一日目

羽田(8:20)発SNA53便で宮崎空港に向かう(10:00)着

SNA(ソラシド)の飛行機に乗るのは初めてだ。飛行機の座席も真新しく、スチュワーデスの制服も明るい感じで、印象が良い。だが、搭乗率は20パーセント未満だった。
今回の旅行では、申し込み時に右側の窓際の座席を希望しておいた。というのも、九州、沖縄方面雄旅行では、左側の座席だと、富士山が見えないからだ。


空席が多かった為か、久し振りに翼が見えない座席に座ることが出来た。

やがて、富士山が見えるようになった。左側の座席では、富士山は見えない。


横浜ベイブリッジが見える。


素晴らしい光景だ。このような写真は、観光ガイドでは見ることは出来ないだろう。



やがて、知多半島と中部国際空港が見えて来た。


中部国際空港。空港の近くを飛行しても、大丈夫なのかな。


宮崎空港手前の海は境界線で分けられたように、はっきりと海の色が違っていた。


やがて、宮崎空港に着陸した。


宮崎空港は、なかなか活気のある空港だ。那覇空港のような感じだった。


レンタカーはウ”ィッツだった。トヨタレンタカー営業所周辺の道は、車の往来は少なく、走り易そうだ。


まず向かったのは、青島だった。青島は空港から近いが、有料駐車場(500円)を利用しなければならなかった。


青島神社。平日なのに、少なからずの観光客で賑わっていた。


青島はなかなか大きい。一周するには、かなり時間が掛かりそうなので、この辺りで引き返すことにした。



青島を後にすると、堀切峠に向かった。堀切峠は青島から近い。

堀切峠にある道の駅フェニックス。ここで、ソフトクリームを食べた。



展望台でソフトクリームなんかを食べていると、とんびが急降下して来ては、怪我をすることがあるらしい。そういえば、今もとんびが大空で舞っていた。甘く見ては駄目だ。


僕が借りたウ”ィッツ。新しい車だったが、燃費は13〜15キロであまりよくなかった。
堀切峠を後にすると、鵜戸神宮に向かった。

堀切峠からどれ位時間が掛かったのかは覚えていないが、やがて鵜戸神宮に着いた。大きな無料駐車場があった。早速、鵜戸神宮に向かったのだが…。

ところが、鵜戸神宮までは、駐車場から25分掛かるとのことだ。そんなに掛かるのか…。そう思ったが、ここまで来たからには、行かないわけにはいかない。


やっと観光ガイドに載っている鵜戸神宮が見えて来た。25分掛かるらしいが、意外と早く着いたという感じだった。


ここで、運玉(五個100円)を買う。


男は左手で投げるそうだ。


注連縄で囲われた場所に運玉が入ると願いが叶うそうだが、一個も入らなかった。



鵜戸神宮を後にすると、都井岬に向かった。

途中、道の駅なんごうで休憩した。レストランがあったが、特に食べたいものはなかった。


道の駅なんごうからは、展望台に続くような道があったので、早速その道を行ってみることにした。


しかし、この道が何処に行くのか分からなかったので、見晴らしの良い場所でUターンすることにした。


道の駅なんごうを後にし、都井岬向かって車を走らせると、やがて、島が見えて来た。幸島なのか、どうか分からない。


都井岬に近付くと、ゲートがあり、400円払わなければならなかった。

やがて、右側に廃業したホテルが見えて来た。この辺りに、こんな大きなホテルでは最初から経営は厳しかったことであろう。


やがて、道路上に馬が見えた。その為に。前に進めなかった。こんな光景を見るのは、与那国島以来だ。因みに、都井岬の馬は、野生の馬で、人間が餌を与えてるのではないそうだ。


やがて、都井岬に着いた。大きな駐車場があり、無料だ。

灯台があるので、早速行ってみた(無料)。



灯台はそれ程高くないので、怖くはなかった。
灯台を後にすると、駐車場に向かう道路沿いに土産物店があったので、ここで土産物を買い、また、イカ焼きを食べた。

都井岬を後にすると、後は宮崎市内にある宿泊先のホテルに行くだけだ。


都井岬を後にすると、程なく右側に小崎鼻展望台という標識が出ていたので、行ってみることにした。

都井岬では、ちらほらと人を眼にしたが、ここは誰もいなかった。



やがて、幸島という標識が出ていたので、右折してみた。すると、すぐに駐車場となった。売店があったが、営業はしてなかった。


これが、猿が生息してるという幸島。時間があれば、行ってみたい島だ。


夫婦浦という所で、少し休憩した。


鬼の洗濯板に近付いた頃、デモン・デマルシェというレストランとか土産物店があったので、寄ってみた(何も買わなかったが)。



やがて、宿泊先の宮崎観光ホテルに着いた。午後五時で計画通りに着くことが出来た。駐車場は、ホテル裏にある立体駐車場だ(二泊三日で700円だった)。僕の部屋はフロントがない西館だった。しかし、大淀川とは反対側の部屋だった。



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