一日目
羽田(06:25)発JTA0071便で石垣島に向かう(10:00)着
6時25分発だから、無論、自宅からその便に乗ることは無理だ。従って、羽田空港近くのホテル(カプセルホテル)に泊まらざるを得なかった。今まで度々カプセルホテルに泊まってるが、あの狭い空間で長時間過ごすのは苦痛だ。従って、寝る少し前にチェックインするのが、無難だ。
新石垣空港が開港したおかげで、羽田から那覇で乗り換えることなく、石垣島に着くことが出来た。
しかし、新石垣空港の所為で自然が新たに破壊されたことであろう。
もっとも、最初は新石垣空港は白保沿岸の海を埋め立てて造る計画になってたのことだ。それに比べれば、ましといえば、ましなのだが…。
それはともかく、飛行機はぐんぐんと高度を下げ、着陸態勢に入った。すると、石垣島の島影が見えた。
石垣島はサンゴ礁に縁取られていたが、それはあまり綺麗とは思えなかった。前回訪れた時はもっと綺麗だったような記憶が残っていたのだが。
石垣島には時間通り到着したが、今回はまず与那国島だ。
石垣(11:00)発JTA741 与那国島(11:35)着
石垣島から与那国までは、凡そ30分だ。
新石垣空港を離陸すると、しばらく西表島が見えていたが、それもやがて見えなくなった。そして、しばらくすると、与那国島の島影が見えるようになった。飛行機はそんな与那国島の上空をUターンして着陸したようであった。
私は今まで一度も与那国を訪れたことはない。それで、訪れようと思ったのだが、それ以外としても、与那国といえば、海底遺跡で有名だ。その海底遺跡というものを一度見てみたいと思い、今回訪れてみることにした。
海底遺跡を見るには、ジャックスドルフィン号という半潜水艇を利用するのだが、5人客が集まらないと、出航しないそうだ。
そして、前日私に電話が入り、「まだ、3人しか集まってないから、今の時点では何ともいえない」と言われた。しかし、当日になって、5人集まったので、船は動くという連絡を受けた。
ジャックスドルフィン号は、JTA741の与那国空港到着にあわせて、出航される。つまり、与那国空港でレンタカーを借り、車で7、8分位の所にあるジャックスドルフィン号の出航場所である久部良港に着いて少し経った頃、出航するというわけだ。
やがて、5人の乗客がジャックスドルフィン号に乗り込み、ジャックスドルフィン号は出発した。
遺跡ポイントまでは、15分位だそうだ。
ジャックスドルフィン号から、与那国島の景色に目をやっていたのだが、崖ばかり続くという感じだった。それ故、早く遺跡ポイントに着かないかと思っていた。
だが、やがて、遺跡ポイントに着いたようだ。船は速度を落とし、乗船客は、船底へと移動する。そこには窓があり、海底の景色を見ることが出来る。
遺跡ポイントの写真や映像は今まで何度も目にしたことはあるが、実際目にしてみて、自然なのか人工なのかよく分からない。
というよりも、とにかく、ジャックスドルフィン号はさっと遺跡ポイントを通り過ぎて行くだけなので、じっくりと目にすることが出来ないのだ。
これでは、その真偽を確認できないだろう。欲をいえば、もう少し長く遺跡ポイントに留まってもらいたいものだ。
ジャックスドルフィン号は早々と遺跡ポイントを後にし、帰路についたのだが、やがて、アクシデントが発生した。つまり、船酔いに見舞われたのだ。与那国の海はよく揺れるということを聞いたことはあったが、そのことを忘れていた。しかも、よく揺れる前方の席に座ったのも災いした。とにかく、吐きそうなのだ。それ故、顔を上に上げ、持ち応えるしかない。
とにかく苦しい。まだ、着かないのか。そればかり思っていた。そして、何とかもってくれた。しかし、後、5分乗っていれば、もたなかったであろう。
陸に立つと、気分は徐々に持ち直し、次に向かったのは、久部良バリだ。久部良バリとは、岩の裂け目だが、昔、人頭税が課せられていた頃、その過酷さの為に、妊婦を飛び越えさせ、人減らしを行ったそうだ。その久部良バリを早速訪れてみることにした。
久部良バリを実際見てみたが、このような裂け目を普通の人が飛び越えられるわけがない。ましてや、女性なら当然だ。更に、裂け目の縁は裂け目の方に傾斜していて、つるっと滑りそうだ。もっとも、今と当時の状態が同じというわけでもないだろうが、それにしても、実際にここで人減らしが行われたのだろうか。
さて、次は与那国空港の前を通り過ぎ、ナンタ浜だ。
ナンタ浜 |
その次は東崎だ。その周辺は牧場になっていて、道路を馬が横切るという。早速行ってみた。
確かに、観光ガイドで読んだ通り、東崎に向かう道には、少なからずの馬がいて、進路の邪魔をし、馬が通り過ぎるのを待たなければならなかった。また、馬はこの辺りの牧場の外には出れないそうだ。というのも、テキサスゲートという溝があるからだ
この辺りの観光で気をつけなければならないのは、そこかしこに落ちている馬の糞を踏まないことだ。
馬が通り過ぎるのを待って、次の目的地に向かった。それは、サンニヌ台だ。これも遺跡だといわれてるが、このサンニヌ台の人工的な構造は海底の中まで続いてるそうだ。
それはともかく、サンニヌ台を見れる展望台は、危険の為に立ち入り禁止となっていた。残念。
サンニヌ台の次に向かったのが、南牧場だった。与那国島は地図を見てると、簡単に一周できそうなのだが、しかし、実際にはそうではなかった。意外になかなかややこしい。海沿いの道を走っているつもりだったが、なんと内陸部にあるアヤミハビル館にまで来てしまった。アヤミハビルとは与那国に棲息してる大きな蛾で、モスラのモデルになったそうだ。
しかし、時間の関係上、アヤミハビル館に立ち寄ることは出来ず、南牧場に向けて車を走らせた。
その途中、高校生に道を尋ねたりしたが、なかなかスムーズにいかない。因みに、このレンタカーは、カーナビなしだ。
そして、何とか南牧場にまで行くことが出来た。この辺りも東牧場と同じで道路に馬がいる。
南牧場を横目に次に向かったのが、日本最西端の西崎だ。
その後、雑誌で目にしたのだが、この辺りの牧場が潰され、自衛隊の基地が出来るらしい。自衛隊の所為で、のどかな与那国がのどかでなくなるかもしれない。
西崎 |
学研の雑誌だったと記憶してるが、実はこの西崎沖にも、海底遺跡と思われるものがある。それは、有名な新川鼻の海底遺跡よりもスケールが大きく、ピラミッドのようなものや、回廊のようなものがあるらしい。しかし、潮の流れが速い為なのか、こちらの方はあまりは本やネット等で見たことがない。また、最近知ったのだが、西表島から船で1時間の所にある仲の御神島にも遺跡らしきものがある。ここのビルのような屹立した岩も遺跡ではないかと指摘されてるが、私が最近知ったのは、海上に現れてる島の部分だ。その島の写真をネットで見たのだが、まるで人工的に加工されたような痕が見られる。陸上にある為にかなり風化が進んでいるが、とても自然物とは思えない。
いずれにしても、沖縄周辺の海底には、人工物と思われるものが少なからず存在している。しかし、国は人工物と認めはしないだろう。そのようなことをすれば、教科書に書かれていた歴史が出鱈目となるからだ。
それ故、奄美大島から飛行機で10分の所にある喜界島沖で発見されたという迷路のような遺跡が、確認出来ずに終わったのは残念だ。あれが確認されていれば、もはや人工物と認めるしかないからだ。