沖縄旅行
H20.3.10〜3.13
一日目 羽田ー那覇空港ー沖縄自動車道ー道の駅許田ー瀬底島ー屋我地島ー古宇利島ーホテルモトブリゾート(泊)
二日目 ホテルモトブリゾートーオクマビーチー茅打バンター辺戸岬ーヤンバルクイナ展望台ー慶佐次湾ー今帰仁城ーホテルモトブリゾート(泊)
三日目 ホテルモトブリゾートーブセナリゾートー万座毛ー真栄田岬ー残波岬ー海中道路ー伊計島ー沖縄自動車道ー那覇ー東横イン(泊)
四日目 東横インー首里ー新原ビーチー国際通りー那覇空港ー羽田
沖縄本島を訪れるのは、三回目となりました。といっても、一度目は、定期観光バスで中北部と南部のコースを巡り、二度目は八重山諸島の帰りに、国際通りを少し歩いただけでした。そして、今回が三回目というわけです。
今回は今までとは違って、初めて沖縄でレンタカーに乗ることになりました。といっても、マイカーを手放して既に十年以上の年月が経過してましたし、また、カーナビの使い方もよく分からなかったので、やはり、緊張の連続でした。そして、その余裕の無さの為に、車のドアをヤンバルクイナ展望台近くでかなりへっこましてしまいました。幸にも、三日間で1500円位の保険をレンタカーを借りる時に入った為に、自己負担はゼロでしたが、それに入ってなければ、万単位の出費をしたことでしょう。また、カーナビの使い方が分からなかった為に、沖縄自動車道を那覇TCで降りるというへまを仕出かしてしまいました。というのも、西原JCTで走行車線を走っていた為にそうなってしまったのです。沖縄の道路事情が分からなかった為に、こうなってしまったのです。
那覇TCを出ると、夥しい車の数にびっくりしてしまいました。信号が青になると、まるでマラソン選手がスタートラインから出発の合図と共にスタートラインから飛び出すかのように、車が走り出すのです。道が分からず、カーナビを使えず、車の運転にも自信がなかった為に、果たしてレンタカー営業所に戻れるのかと思うと、とても焦りました。何しろ、今夜の七時の飛行機で戻らなければならないのです。時間的にはまだまだ余裕があるのですが、一体何処を走ってるのか、てんで状況が分からないのです。しかし、空港近くではないことは間違いありません。
それで、とにかく細い道に折れ、道路脇に車を停め、近くにいたご老人に空港への行き方を訊いてみました。
すると、ご老人は、「ここは首里だから、口では説明出来ない」と言われました。その老人の表情はとても厳しいものでした。あの四人に一人亡くなった沖縄戦を生きのびてこられた苦難が顔に出てるのだと思います。そんなご老人は、「沖縄は戦争で焼け、計画的に道が作られず、その為にややこしい」とかいうようなことも言われました。
しかし、何とか首里城公園の入口までは行くことが出来、ここでレンタカーの係員に車を引き取りに来てもらおうと思い、その旨を警備員に話してみました。すると、「ここから空港への行き方はむずかしくない」と言われたので、とにかく自力で戻ることに決めました。因みに、首里城は定期観光バスで行ったこともあり、懐かしく思いましたが、今は見物する余裕はとてもありません。
そして、首里城公園の入口を後にし、その途中、再び道が分からなくなり、バスを待ってる中学生に空港への行き方を訊いてみたのですが、しかし、よく分からないとのことでした。
しかし、結局、何とか自力で戻ることが出来たのです。
これで、今回の沖縄旅行は終わったのかと思ったら、そうではありませんでした。まだ、続きがあったのです。
というのは、帰りの飛行機はJAL0924便(19:05)発だったのですが、離陸してからかなり時間を経過した頃、車輪に異常が発生し、那覇空港に引き返すというアナウンスが流れたからです。乗客の中にざわめきが走ったには当然のことです。果たして無事に那覇空港に着陸できるのかという不安が多くの人の心の中で発生したに違いありません。
しかし、そんな心配は杞憂であったかのように、那覇空港に着陸しました。
しかし、これから問題が発生しました。というのは、午後11時を過ぎた頃の便で羽田に向かうという説明があったからです。これでは、羽田に戻っても、自宅に戻れはしません。
それで、JALに問い合わせたところ、明日の便への変更と、更に今夜のホテル代として1万五千円くれるとのこです。
それで、那覇で後1泊することにし、更にホテルまで予約してもらった。ホテルは那覇旭橋駅前の東横イン(宿泊料7140円)であった。このホテルには、僕と同じ飛行機で羽田に戻れなかった人もちらほらと見られた。
翌日の飛行機は午後三時頃だったので、首里城でも見物しておこうかと思い、ゆいレールで首里まで行き、バスを待っていたのだが、すると、タクシーの運転手に声を掛けられた。「今の時期は首里城は混むから大変だ。だから、綺麗な海に案内しますよ」という具合に。それで、タクシーの運転手を信用して、タクシーに乗り込んだ。というのも、昨日JALから貰ったお金がまだ8000円残っていたからだ。それがなければ、とてもタクシー観光は利用しないだろう。
そして、向かったのが、新原ビーチであった…・。
因みに、この四日間の沖縄旅行は、天気予報では、四日とも曇り時々雨であった。これでは、行く前から気持ちが萎えていたのだが、その天気予報に反して、三日目も四日目も天に抜けるような青空が広がる快晴。殊に、三日目は国道58号線沿いのビーチの驚くような海の美しさを目に出来ました。その時の美しさから、その当時も既に赤土の被害を受けているということは、想像もできないような美しさでした。あの綺麗な海が、今も(平成27年)失われていないのかどうかは、僕では分かりません(おそらく失われたのではないかと思いますが…)。
後付け加えておくことは、その時使用したデジカメがペンタックスの400万画素のOPTIOS40というものでした。今では1000万画素を超えるデジカメが当たり前ですが、この当時のデジカメは300万画素、400万画素が当たり前の時代で、1000万画素を超えるデジカメはまだ販売されてませんでした。それ故、画像があまりよくないです。これが残念です。今のような1600万画素のデジカメなら、素晴らしい写真が撮れたと思います。